もし、我々が肉体を持たず魂のみの存在であったならどうだろう。
実際に見たり、聞いたり、匂ったり、味わったり、触ったりできるであろうか。目の前に美味しそうなリンゴがあっても、「美味しそうだなぁ」とは分かるかもしれないが、その美味しさはどんなもので、匂いはどうで、噛み心地はどうかなどは分らない。想像ができても、実体験はない。
ちょうどテレビゲームでカーレースをしてあたかも自分は車の運転が上手くなった気になっているだけで、実際のドライブ体験はないのと同じである。
そう、我々の本質は”体験”をしたいのである。
体験をすることにより自分を造り上げ、自分とは一体何者であるかを、体験を通じて思い出している存在なのだ。肉体(物質)なしで、魂は体験できない。そのために魂であった我々は、この物質世界に出てきたのである。
自分自身を物質化する方法を考え、その完璧なシステムを造り上げ、体験なしの絶対世界から物質世界を造り、体験できるようにしたのである。
住職 坂下一治